「神の手」じゃないのよ「神の眼」なのよ、この先生
巷では「神の手」という言葉が流行っている。もう20年くらい前からよく目にするその言葉。インターネットでも書籍でも、Youtubeでも調べたら沢山出てくる。「神の手」ってそんなに多いのか?と疑問を感じる事もあるがそこは気にしないでおこう。そういう時代なんだ。
そう、ここの先生を「神の手」と評する人は多分少なくないと思う。でも、ベテラン勢の私からするとそれは「第一章」の話に過ぎない。この先生が「神の手」であった時代はコロナ前までだ。そのころまでは先生はずっと(悩みながらも)関節矯正を主に行っていた。我々患者側の要求に応える事を最優先にしていた。それはわかる。必ず矯正の前には「楽にはなるが治る訳ではない」と何度も伝えてくれていた。先生自身が望んでいない事が伝わってくる。でもその関節矯正は間違いなく「神の手」クラスだったと思う。今まで受けた関節矯正の中では理想的なものだった。技術がというより段取りが、というべきかも。
でも、今は違う。先生は「神の手」を廃業された。関節矯正はどうしても必要と判断をした場合のみにしている。じゃあ先生はダウングレードしたのか?そんな疑問が生まれるのは当然だろう。
違う。
「神の眼」爆誕である。
先生がどうして関節矯正をあれほど嫌がっていたのか。こちらを説得しようとしていたのか。それは「視えていた」に他ならない。先生に聞いてみよう、答えてくれる。先生にはカラダを巡る力の線が見えるそうだ。それを検査や会話で確認をしていく。カラダに直接聞いて、私達の感覚もダブルチェックしていく。
これ、検査だと思っていた。私は。「調べる為にしている行動」だと思っていたのである。
皆の衆、刮目せよ!ドドン!
この先生、「調べる為」じゃなくて「確認のため」にしているそうだ。自分に見えたもの、感じ取った線を確かめる為に検査をしていると。
ええーーーー
触診、視診極まってるんじゃない?と言いたくなる。時がある。
先生にとってはもう答えは既に明確で
「如何にわかってもらうか」
「如何に理解してもらうか」
「如何に納得してもらうか」
もうこれが問題になっているのだ。そう、先生のアナライズに我々素人が付いていけない事。これが「回復最大の妨げ」になっているという稀有な院。
私も胸に手を当てて聞いてみた。
先生から言われた宿題を随分と「魔改造(先生の原文ママ)」したものだ。。。。ふぅ。
回復を妨げていたのは誰か?今ならわかる。わかるぞ!
ワタシだ。
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